〜目次〜
◆第4話 2002.9.29  〜自転車〜
私の息子 石橋侑宜(6歳)は、幼稚園ですでに1年も前から自転車乗りの出来る戸田かずき君に対し闘争心を燃やし、自ら誕生日が来たら補助輪をとる「脱ホジョリン宣言」をし、はずしたその日に乗れるようになりました。実は、その3ヶ月程前にも同じ事を言い出したので試みたのですが、簡単に考えていたらしくあまりのギャップに驚き、はずした1分後に「もう一度つけて」という始末。望むようにしてあげました。

私は、強制することはやめようというのが教育方針の一つです。自らやる気がなければ何をやらせても無意味であるように想えるからです。だからといって何もしないわけではありません。やる気を起こさせるための努力はしているつもりです。

自転車乗りが出来た息子は、私と遊ぶときいつも自転車を手放さないようになりました。夏休み常陸太田に泊まりに来た時も自転車を持ってきて、田舎の広い空間をまるで自分ひとりのもののように楽しんでいました。そこへいつもお世話になっている劾工務所の社長の妹さん(N工務所の事務長、兼第一秘書)が、ちょっとした用事で私の会社の事務所に子供を連れて来ました。娘さんの名前は里佳ちゃん(侑宜と同じ年の6歳)。里佳ちゃんと侑宜は以前にも遊んだことがありすでにお友達。里佳ちゃんもまた侑宜が楽しそうに自転車に乗っている姿をみて闘争心に火が点き、その後「脱ホジョリン宣言」をし、見事に乗れるようになったそうです。私の姪宇野夢生子(5歳)も最近自転車乗りが出来るようになり、朝から晩まで自転車乗りをしているようです。

 我々大人は新しい事が出来た喜びを味わう機会がめっきり減り、そんな子供たちの姿をみていると、子供って素晴らしいなと思うのと同時に羨ましくも感じます。しかしながら、その喜びを得る事に放棄したわけではありません。新たな事柄に果敢に挑戦し、我々も子供たちに負けない喜びを自ら味わおうではありませんか。

 私は数日前、特許事務所に行ってきました。軽トラックの荷台を改造したものを弁理士の先生に見てもらうためでした。
見てもらった後、
「いかがですか?」
と尋ねると、
「同じものがなければ、可能性はあります。」
という答えでした。
その話を夜、弊社の社長、副社長に話すと
「仮にお金をかけて特許をとっても売れなければ話にならない。その製品は誰にでも出来そうなものだから、すぐに真似され買う人なんて誰もいない。」という話でした。それは私も百も承知です。それに対する私の意見
「オレは今年、自分の車を売り払ってスーパーカブの生活をしている。車の年間当りの維持費は、税金、車検、保険とで20万円である。あと2年間車を持っているとしたら40万円が必要であった。オレはその金をこの特許をとることに使いたい。この製品が売れないだろうなんて言われる前に解っている。オレはただ、自ら特許というものをとってみたいんだ。特許をとって、その経緯を体験した上で自信をつけたい。これはオレの道楽だからやらせてほしい。」

現在も協議中です。
・・・平成13年秋・・・
それから一年が過ぎました。
特許の話は何処に行ったのやら、
何件もの特許を取得している相談役の一言
「そんのものだめに決まっている。」
で、もろくも崩れ去りました。
・・・平成14年秋・・・
石橋 磨事
◆第3話 2002.7.29
本年4月1日、旧友の同窓会で靖国神社を参拝した弊社相談役 武部礼一氏のメールを紹介します。
また、参拝の際に撮った写真を何枚か紹介します。こちらをご覧ください。


8月15日がやってくる

私は現在74才、1945年終戦時は17才、現中国長春の大学に在学中であった。
軍国主義の下、国の為に殉ずることを厭わぬ、今考えれば無知な一学生であった。太平洋戦争の末期昭和20年には日本の戦局は極めて悪化し、米軍は沖縄に上陸、B29の本土空襲、硫黄島、サイパンは占領された。
それまで学生は満20才に達するも兵役猶予の特典があったが当然それもなくなり兄は文系の学生であったが、5月現中国東北部ソ満国境の最前線虎林に入隊した。
8月9日突如不可侵条約を破りソ連戦車部隊が越境してきた。激戦しつつ後退、8/15の終戦により捕虜となりシベリヤに収容された。寒さと飢えに耐えながらも2度の便りはあったが、使役の列車事故で死亡。帰国を夢にとうとう日本の土を踏むことが出来なかった。
勿論親兄弟は1日千秋の思いで待っていた。国からの公報を得た時の心情はまさに筆舌に尽くしがたいもので当事者でなければ感得できない辛さであり今尚変わるものではない。
それから幾星霜、平和な時代になるほど、何のための死か無念さは強くなるばかりである。本年4月旧友の同窓会で靖国神社参拝を行った。只々兄の冥福を祈るばかりであった。

第二次世界大戦は1945年に終わりを遂げたが日本はアジア諸国、特に中国・韓国からは侵略者としての批判を受けている。毎年8月15日に総理大臣、各閣僚が靖国神社を参拝すると直ちに激しい抗議が行われる。
犠牲者にたいする肉親の辛さはアジア諸国の方々も日本人も変わりの無いものとすれば靖国神社参拝は別の方法を配慮すべきであり時が解決してくれるものと思われる。
全てが戦争の災いであり平和は極めて尊い。国交はお互いの信頼によって育まれるものである。

まもなくやってくる8月15日に思う。

 
*武部礼一氏のご家族です。
◆第2話 2002.5.29
瑞竜中学校時代(今から23年前)の剣道部の先生が、この度校長先生になられ、そのお祝いが常陸太田市の「ときわ路」で行われました。黒沢先生以外にも3人の先生方がご出席され、また剣道部のOB・OGを合せ合計38人で祝賀会が開催されました。

 その時の様子を複数の友人にメールで送ったところ、行武友佳子さんからメールが届きましたのでご紹介します。


−−−行武友佳子さんからのメール−−−
元気ですか?私は瑞中で3年2組だった行武(旧姓安藤)友佳子です。水府の井上夕子さんに教えられてHPをみました。
元気に楽しく仕事している様子が良くわかりました。私はダンナと1歳9ヶ月の娘と平凡な日々を送っています。
ところで風のうわさで耳にしたんですが、黒澤先生はいったいどこの校長先生になったんですか?...
わかったら教えてください。それではまた...お元気で!!
364番めの訪問者のユキタケユカコでした。

−−−返信内容−−−
 黒沢先生はどこの校長先生か?
 忘れました。というより大騒ぎしていてそんなことどうでもいいような気がして聞きませんでした。おめでとうございますも言うまもなく会が終了した気がしました。
 ところでHPご覧下さったそうでありがとうございました。本多ぶどう園もリンクできるようになっていたの気がつきましたか?
まだでしたらどうぞご覧下さい。

 HPをはばかりながら開設して1月半。まだ仕事の問い合わせが来てませんので最初の目的はかなえられていない状況です。けれども、意外なことで効果があったのには驚いています。その意外なこととは瑞竜中の旧友が少しづつメル友になって来ていることです。もちろんあなたもその一人ですよ。当然のごとくこのメールはccにて皆さんに送りたいと思います。名前を見て懐かしかったらメールしてみて下さい。

 今日はリフォームの解体工事だったので室内でほこりの逃げ場がなく体中真っ白です。髪の毛にほこりがつくと白髪みたいになるので、年をとるとこういう風になるのかな?割といけるじゃない。なんて思っているところです。
 家屋の解体工事っていうのはほとんど機械で行われます。ところがリフォームとなると機械が入るスペースがなく、すべて人力の作業になります。こういうことがあるとつくずく機械のありがたみが感じられます。でも、これは解体工事に限ったわけじゃないと思いますよ。スイッチひとつでご飯が炊けることしかり、高性能の車でどこにでも走って行けることしかり、このメールだって一度にたくさんの人へ瞬時に文章を送れるってとても便利であり、またすばらしいことだと思いませんか?
我々はややもすると先人がつちかってきた文化や科学をあたかもあたりまえのように思ってしまいがちです。
複雑になる一方のこの世に生まれてきたことをもし恨むような人がいたら、年寄りの何十年も前の米を炊くことが毎日大変だったこと、砂利道を自転車こいで通学したこと、文字を書くのはすずりと筆しか手段がなかったことなどの話を聞いていかに自分が幸せボケしていたか考えてみてはいかがですか?

 そんなことで家の息子には年寄りとよく話ができる子になってもらいたいなって思っています。もうすぐ到来する高齢化社会を皆さん悲観的にばかりらなないでプラス思考で進みましょう。まだまだ若いものには負けられないとばかりに頑張っている魅力的な外見だけ年寄りな人は大勢いますよ。また私自身も若い人の憧れの的になるような人生を送れるよう精進していくつもりです。
「言うは安し、行うは難し」
石橋 磨事
◆第1話 2002.3.29

 みなさんはじめまして。石橋土木の息子 石橋磨事(36歳)です。父の経営する家業に戻り、早2年が過ぎようとしています。本当に月日の経つのは早いものですね。その2年間、額に汗し必死に家業の解体工事と各種土木工事に励んできたので、今は何でも受けて起ちます。と言いたいところですが、2年間ほとんど家の仕事に携わらずに過ごして来てしまいましたので、受けて起てません。何をしていたかというと、いつもお世話になっている会社に出向したり、私の同級生が営む会社で、手伝いをさせてもらったり、造園屋さんで庭造りや植木の剪定をしたりしていました。世間の人に言わせれば、私は道楽息子なのかもしれません。
 目先の利益を追えば、日々家業に従事するのが、賢明でしょうが、それではこの厳しい競争社会で勝ち組に入ることができないように思います。多方面にわたり感性を養うことにより、アイディアが生まれ新事業等の会社の方向性が見えてくる感があります。また、それ以上に多くの人へ自分の考えを述べ、多くの人の意見を聞けることが、私にとって何よりの財産なのです。
 私は性格的に何かをする必要があるとき、すぐにパッと実行するのは嫌いなタイプです。あわてずにじっくり他の事柄と同時進行することが多いのです。あわてて何かをするときに限って何か失敗をしでかします。このホームページ開設もそのひとつです。トップページは1年も前に作成したにもかかわらず、次から次へと迫る課題に取り組みいろいろな人と出会い、いろいろな人の意見を聞いていろいろな出来事と遭遇しながら完成しました。

 今回(株)クリスティ 渡辺さんのお世話により開設することができましたが、その渡辺さんを紹介してくれた廣木さん、いとこの茅根建設(株)代表 茅根さんにも深く感謝します。
 まだまだ、ホームページ的にも人間的にも未熟ですが日々精進する所存ですので、宜しくお願い申し上げます。

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