普段仕事をしている中での出来事や感じたことを日誌で更新していきたいと思っています。
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◆第41話 2011.4.12 東日本大震災から1ヶ月
平成23年4月12日 0時10分
石橋 磨事

 平成23年3月11日、14時46分。歴史に残る大事件が発生してしまった。マグニチュード9.0。まず、命を悔しくも落とした人達にお悔やみ申し上げます。
 私も今日テレビで報じられた時、同時に黙祷をささげさせていただいた。今回の一大事は単なる地震だけで終わることなく、津波、原発事故、風評被害等により大勢の方々の生活を一変させた。私もそういった事柄にやるせない気持ちを抱くと同時に、とある事にいっそう危機感をつのらせている。
 そのとある事について説明させて頂く。まず、日本で発生した今回の災害は一般住宅、公共施設、工場、港湾、車両等多くのものを崩壊させてしまったのだが、その中に私にとって特別な物がある。それは文化財である。日本の古き良き建造物。日本の伝統文化財が全国で崩壊してしまった。我が町常陸太田市も例外ではない。埼玉県小江戸川越や茨城県真壁町など一目見て歴史を感じる土蔵などが我が町常陸太田市の鯨が丘を始め周辺地域にも点在している。悔しくもの解体をせざるを得ない姿に豹変してしまった。解体屋の私が言うのはおかしな話だが、傾いた建物をまっすぐに直し柱を補強すれば必ずしも解体しなくてもいい物件もあり、お客様にその提案を言い続けているのだが、ほとんどのお客様は納得して頂けず、「解体の方向で見積もって下さい。」とのこと。私はその話しをする時、解体屋の意識などみじんもない。建築士の見方に変わっている。思えばあの時一級建築士を受験しようかそれとも二級にしようかと迷った。一級は難しいし、不必要だから二級に決めた。その事を今少し後悔している。仕事上、打合せや会議、議論などする際、資格が物を言う場合が多々ある。資格とはそういう意味もある。今の私では、文化財を改修する方向でお客様に納得してもらう実力がない。情けなく感じる。最も、一級を受験したところで合格する見込みは全くなかったので、結果は同じだったかもしれない。ということで、数件の文化財とも言える建造物が弊社で解体することに決定してしまっている。
 しかし、全てが崩壊したわけではない。萱葺き屋根の建物はまだ数多く存在している。曲がり屋で玄関をはいると大きな土間があり、その奥には囲炉裏がある。当然その真上には煙だしがあり、冬暖かく夏涼しい萱葺き屋根の家。筋交いはどこにもなく、東角には、ぽつりと一本柱が立って南側と東側には、沢幅の廊下があり、床の間から外を見ると、自然を凝縮させた日本庭園があり心が和むまるで京都の桂離宮のような日本の伝統文化。新築では建築基準法により100%その構造はあり得ない。筋交いのない家は絶対建たないのである。しかしおかしな話である。筋交いがないと地震で倒れると絶対視される現行建築基準法。それなら、奈良の大仏様の雨風をしのいでいる筋交いのない大スパンの大屋根は平成7年1月17日に発生した阪神淡路大震災でなぜ壊れなかったのか?そのような事を考えてしまう私は日本の伝統文化の一担を伝承する責務があるような気がする。歴史上大人物坂本龍馬は、普通の身分の人であったのに大きな志をもって日本を救った。私は坂本龍馬のような立派な人間ではないが百分の一か千分の一位は志を持っているつもりだ。
 現在はそんなことを考えている余裕はない。今何十件もの震災復旧工事の見積依頼があり、毎日遅くまで業務におわれているが、大震災から一ヶ月の今日、この文章だけは書かねば決意にならぬと思い、ペンを走らせている。その思いを有難いことに従業員も理解してくれて、次の写真のように雨の中でも危険をかえりみず、土瓦を一枚一枚割らないよう手おろしをしてくれている。工程上、どうしても4月10日(日曜日)に雨の中瓦降ろしをせねばならなかった。通常、雨の日は瓦降ろしだけはしない。ましてや日曜日。朝のミーティングで「絶対に瓦の上に足を乗せるな!」を何度も繰り返し言った。皆、私の話を真剣に聞いてくれた。現場では、ずぶ濡れになりながら、泥で足が滑りやすい足場にもかかわらず、懸命に仕事をしてくれた。従業員とは有り難い者である。

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